2009
12/1

第1回 宿谷さん親子集会 「拉致監禁をなくすための集い・親子関係の断絶と修復」 講演録・全記録

元・統一教会信者の宿谷麻子さんは、2度の拉致監禁経験がある。1995年、路上拉致から始まった2度目の拉致監禁は、約5か月の監禁生活を余儀なくされた。日本基督教団戸塚教会の黒鳥栄牧師と太田八幡教会(当時)、現・日本基督教団行田教会の清水与志雄牧師の強制脱会説得を受け、統一教会の脱会を決意。リハビリ生活中に黒鳥牧師から紹介された山口広弁護士を代理人に立て統一教会に対して献金等の返還交渉を行いその一部を取り戻す。
統一教会を脱会することができ、重い首かせから解放された麻子さんには、新たな自由な生活が待ちうけているはずであったが、その期待は、早々に打ち砕かれた。突如として全身に発症し始めたアトピー湿疹を狂ったようにかきむしり、夜な夜な悪夢にうなされる日々。加えて、極度の情緒不安定、睡眠障害、アルコール依存などに悩まされるようになる。限界に達した麻子さんは、心療内科を受診する。そこで、下された診断結果は拉致監禁による心の傷が原因のPTSD(心的外傷後ストレス障害)であった。
拉致監禁を行った両親との深い溝が埋まらない中、自身のHP『夜桜餡』で拉致監禁によるPTSDの苦悩を世に訴えかける。その後、両親との率直なぶつかり合いを通じて監禁から5年を経て麻子さんに両親が謝罪し和解、現在は、親子の関係を取り戻している。また、麻子さんは、拉致監禁問題を扱った書籍『我らの不快な隣人』(米本和広著)に登場する主人公の一人でもある。

2009年11月15日、渋谷フォーラムエイトにて、当会が主催し、宿谷麻子さんとそのお母さんをお迎えして「拉致監禁をなくすための集い・親子関係の断絶と修復」と題する講演会を開催いたしました。統一教会に入信した娘と、それを脱会させようとする母親との、心の葛藤と断絶、そして修復にいたるまでの回想が率直に語られ、大変貴重な内容となっています。ぜひ、ご一読ください。

本文を見るには、以下の緑色の文字をクリックしてください。本文が開きます。

講演会に向けての宿谷麻子さんからのメッセージ

宿谷麻子と申します。
この度、母を迎え、この集会を持つことになりました。
母が、反統一に入ったきっかけから、拉致監禁、そして私の脱会後、PTSDを理解し、謝罪するまでの、心境の変化について話します。
こうした心の変化を話す事ができるのは、私の母ぐらいなものです。
今でも、拉致監禁は悪いことだ、してはならないことだという強い認識を持っています。
こうした話に興味をお持ちの方は、ぜひ参加してください。
心よりお待ちしています。

<目次>

1.娘が変わった、おかしい

司会:
それでは今日、宿谷麻子さん、麻子さんのお母さん、麻子さんは、拉致監禁をなくす会の役員でもあります。勇気を持っておいでくださいました。拍手をもってお迎えください。
お母さん:
初めまして、麻子の母です。よろしくお願いします。何を話していいかわからないですが、いいかげんなことを話すかもしれませんが、宜しくお願いします。
麻子さん:
宿谷麻子です。今日は皆様にお集まり頂き本当にありがとうございます。つたない言葉になるかも知れませんが、宜しくお願いします。
司会:
当初はお母さん、麻子さんのお話をいただければと思ったのですが、お母さんは何分にも昔のことで、だいぶ忘れたということです。それで、皆様から質問を集め、私が変わってお聞きし、米本さんには随時、捕捉していただくということで進めていきたいと思います。また出来るだけ時間を取って質問を受けたいと思います。それでは順番にいきたいと思います。まず、お母さんへの質問です。
麻子さんが入信して以降、お母さんの目から見て、どんな変化があったか、たとえばこういう点で良くなったとか、悪くなったとか、話してください。
お母さん:
私は肉の小売店をやっていました。ところが、世の中が変わって、スーパーとか大きな店が出来て、その影響で経営が悪くなる一方でした。どんどん売り上げが落ちていく店のことで、当時の私の精神状態は普通じゃなかった。だから、麻子の変化にはなにも気付かなかったのです。
最初に、変化に気がついたのは麻子の妹でした。
たまたま、昨日のことですが、妹が家に来まして、その当時の麻子の変化のことが話題になりました。
「お姉さんが変わっていく、なんかおかしい」
「夜にこそこそと何かをしている、ちょっとおかしい」
「いつものお姉さんではない。なんだか気持ち悪いな」
と感じたそうです。(別表1992年11月の項参照)
夜、何をしていたのか。
麻子が言うには「親子関係を良くしようとお祈りしていた」そうです。
親が嫌いなのに、親子関係を良くしようとお祈りをする。
そのことが話題になって、「無理矢理お祈りしているのだから、そりゃもうおかしい印象を与えるはずだよ」ということになりました。
変化の良し悪しの質問がありましたが、良くなったとも、悪くなったとも、どう言ったらいいか分かりません。
妹が変化に気付いた頃から、麻子は一生懸命、私に対しても「おはようございます」と言ってくるようになったのですが、当時は、先ほども話したように、店のことで、頭がいっぱいで、麻子の変化についてはあまり分からなかった。
かえって私が、「店の経営をどうしよう」と麻子に相談していたぐらいで、麻子に重荷を負わせていたような感じでした。
司会:
ありがとうございます。
次は麻子さんに対して質問です。
麻子さんが入信してから、「嫌いな親を愛するように努力した」と以前におうかがいしたことがありますが、麻子さんにとっては親子関係の点でどのような変化がありましたか。
麻子さん:
私は入信する前は会社員だったのですけども、会社員になる前の大学の時から親子関係は断絶していると思っていて、親を親と思っていませんでした。「親はいない」という思いでいました。一緒に住んでいるアパートの同居人ぐらいに思って、暮らしていました。

そこまで親子関係が悪かったので、朝は食事して、会社に行くときも挨拶もせずに、帰ってきてもただいまも言わずに、ただ自分の部屋に行って、母親とも父親とも会話は全然、有りませんでした。

それを入信してから、「そんな親子関係は良くない」とアベルに言われまして、信仰の条件として親に毎朝、挨拶するようにと言われました。それで、しようがなく、しぶしぶとではあっても、両親に「行ってきます」と挨拶してから出かけるように、信仰条件を立てました。アベルなのでしようがないので、取りあえず、いやいや両親に挨拶していました。

最終的には、母親と父親を伝道しなければならないという思いがあったので、しようがなく、良い親子関係を取り持つように努力しました、その為に一生懸命お祈りとか条件とかをしました。

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2.初回監禁は監禁らしくない環境で

今回は別表1994年5月の項を参照してください。

司会:
ありがとうございます。それではお母さんですね。辞めたはずの麻子さんが統一教会に入っていた。それがわかったとき、その瞬間、教会のイメージとか、何か不安とか、教会のイメージはどんなものでしたか。

親戚の方に相談して、その後いろんなことで変わったと思いますが、一番最初のお母さんのイメージはどのようでしたか。
お母さん:
私は麻子が辞めると言ったのを、信じていたのです。親戚の人には娘は辞めてないよと言われても、そんなことはないと、辞めていると信じていたのです。

ところがまた麻子が、もう一度また統一教会に行くと言い出した。「行っていい?」って言ったから、びっくりしたのです。

統一教会は、悪いところだ、給料を全部とって働かせたりするところだ、と聞かされていました。献金以外にも貯金とかなんとか、みんな出しているみたいだとか分かった時に、「これは困ったなあ」という感じがしたのです。

それでまた、麻子に内緒で親戚の者と話し合いました。

近所の教会に相談に行ったこともあったのです。そこの教会の牧師は鍵をかけてはいけないと言われました。反対派の人ではなかった。

でも、親戚の提案で、親戚が所有する山中湖のマンションに麻子を入れて、説得することにしました。

私は監禁するという気持ちは、毛頭ないものですから、私がもう疲れて話すのが嫌だと感じたら、それじゃ一緒にみんなで買い物に行こうよとか、今日は散歩に行こうとか、監禁らしくないことをしていました。

私は監禁するということ自体が、あまりよく分かっていなかったのです。

なにしろ監禁と説得は、親戚の者がやっていて、私は余計なことばかりしていた感じだったのです。

「麻子、下の階に行けばね、妹が卓球しているから、行ってくればいいよ」とか、平気で、麻子に監禁らしくないことを言っていたのです。

それで、麻子が逃げて行ってしまって、統一教会に帰っちゃったのです。

それで、私はどうしたら良いか分からなくて、茫然自失みたいになって、すごく困りました。どこに行ったか、統一教会に逃げたのか。良く分からない。統一教会に帰ったかどうかも分からない、とにかく途方にくれて、麻子の住んでいる家を捜しました。
司会:
お母さん、統一教会について初め、どういうイメージでしたか?

(桜田)淳子ちゃんの統一教会とか、霊感商法の統一教会とかですか。お店が忙しくて全然情報がなかったですか?
お母さん:
私、統一教会のこと、全然知らなかったのですよ 。
司会:
全然知らない。親戚の方が詳しかったということですか?
お母さん:
ええ、親戚に言われるままに、保護や説得をやっているっていうことが多くて。

ともかく、私には店のことが常に頭にあり、パニックになっていたことは確かです。

(そのあと)戸塚のキリスト教会に行ったのですが、子どものことより、商売を辞めたことのほうが大きかった。

教会の勉強会には一年くらい行くのですが、ともかく落ち着かなかった。脱会者の方々の話とか聞いても、全然覚えていないのですね。私の頭の中は商売を辞めたことが中心で、ふらふらして落ち着いて人の話を聞くことができなかった。
米本氏:
補足しておきます。麻子さんは、94年5月に親戚が所有する山中湖畔のマンションに監禁されます。

その前の状況のことですが、親戚の人がマンションで話し合おうと提案した。話し合いに入れば日数もかかる。

その時、お母さんのお肉屋さんは、お祖父さんの代から始めたお肉屋さんは、店の売り上げはどんどん下がっていた。

お母さんにとって、お祖父さんから受け継いだ店を何とかしなければいけないという思いがものすごくあった中で、結局、日数のかかる山中湖湖畔のマンションで監禁することになり、店を閉じることになった。

それがお母さんにとってはショックだった。

それにもかかわらず、山中湖畔のマンションから、麻子さん2週間くらいで逃げてしまった。

その後、新宿界隈を探し回った。探し回って帰ってくると シャッターが閉まった肉屋を目の前にして、お祖父さんに申し訳ないことをしたという気持ちになる。

その次に、黒鳥牧師の勉強会に参加するのだけれども、店を閉めたことがパニックになっていて、勉強会どころではなかった。黒鳥牧師が話をしていても、お茶をくんだり何かしている、パニックで、頭が真っ白になったような感じで、勉強会の部屋をうろちょろしたりしているような精神状態だったということです。

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3.保護説得(拉致監禁)するかどうかは黒鳥牧師の判断

今回は別表1994年5月の項の下段部分を参照してください。

司会:
はい、ありがとうございます。麻子さん、何か補足はないですか。
麻子さん:
私が監禁される前というのは、父も母も、店が傾いていることにすごい不安感をもっていて、毎日毎日、店をどうやって立て直すかということばかり。私は毎日のように質問されていました。

とにかく、私の状況など分かりもせず、店のことだけしか聞かないのですね。両親は、私が統一教会に入っていることを知っていても、頭が真っ白で何も分からなかった状態だったと思います。それは監禁現場でも、父母はパニックの状態のままだったと思います。だから、私に質問したり、辞めろと言ったりしてきたのは、親戚の人たちだった。
司会:
父母の会にご相談するようになった経緯は?
お母さん:
これは、反対の会の本の中の後ろの方に連絡先が書いてあった。日本キリスト教団原理問題連絡会と書いてあり、そこの番号に問い合わせしたら、「何日に来るように」ということでそこに行きました。それは新宿の早稲田にある、本間テル子さんが主にやっているとこでした。そこで、私は本間先生というよりも、法政大学の駒木先生の指示で、「黒鳥先生があなたには良いでしょう」と言われました。

どこにいらっしゃるかも知らなかったのですが、紹介してくださり、戸塚教会とだけ聞きました。住所も知らないで戸塚駅を降りて、いろいろ人に聞いて、最初に行った教会は、カトリックの教会でした。戸塚教会ではなく、黒鳥戸塚教会はこちらですよと言われて、歩いて訪ねていきました。
司会:
父母の会では戸塚教会を紹介されたくらいで、具体的な指導は黒鳥牧師からされていくのですか?
お母さん:
そこの会(戸塚教会の勉強会)では、脱会者の方とか、まだ脱会されていない家族の方がいらっしゃって、最初のうちは自分を紹介した時に、「自分の子供はとても良い子で統一教会に入るとは思っていなかった」といったようなことを話したり、そういういろいろなことを話しているうちに、自分のことも話すようになりました。

自分は子どもに何をしてきたかというと、結局、私は良い子にさせようと、塾でも何でも押しつけて、勉強しなさいとしか、言っていなかったように思います。

私は中学校しか出ていないので頭が悪いので、学校とか優秀にしなければならないと思って、すごく何でもかんでも押しつけて、子供にやらせた。この子の意見は一切聞かずに、何も聞かず、「あれやれ、これやれ」で、なりふり構わず塾に通わせていました。

学校の成績も良いときは褒めてあげればいいのに、「これでもか、これでもか」というふうに褒めもせず、もっともっとと、押し付けてやっていた。

結局、私は、この子を押しつけて、駄目にして、自分の言いなりに育ててきた。自分の物として子どもを扱っていた。それが見えてきたのですね。勉強会に参加するたびに。
司会:
戸塚教会で、お母さんはどんな指導をされたのでしょうか。相談された方の中にも、拉致監禁保護救出を決行される方もいれば、止める方もいたと聞いていますが、その違いと言いますか、どこが判断の別れ目になりますか。お母様はどの段階でやろうと思われましたか?
お母さん:
私の場合は、この子が韓国の方と結婚するというので、韓国に行ってしまえばもう居場所も分からないし、今でさえも住所が分からないのに、韓国に行ったらどうなるのかと、今のうちに保護してしまわなければ、もうチャンスはないと思ったのですね。それで、路上保護をやった。

(保護するかどうかは)黒鳥先生の判断で行われる。あの先生はとても厳しいですから、「あなたもう来なくて良いですよ」とストレートに言われる方ですから、ものすごく傷つきます。言われた方は。私も言われましたよ。

でも「統一教会から出して」と、こちらからお願いするわけだから、黒鳥先生に「駄目だ」と言われても、がんばってお願いを続けていったというとこですね。
司会:
麻子さんどうですか?
麻子さん:
黒鳥牧師はとても非常に気性の激しい人で、嫌な人は「あの人は嫌い」とか、はっきり言う方で、嫌な人の面倒は見ない。「あなたは来週から来なくていい。来なければあなた達とは関係ないのよ」と言う感じの人でした。そのために黒鳥先生のもとで拉致監禁を諦めた人も多かったと思います 。
司会:
一方では行方不明になった麻子さんを心配されて、ご家族は捜し回られる訳ですが、それについてお母様どうぞ
お母さん:
それから(麻子が逃げ出してから)というものは、すごく大変でした。何しろ住所も分からない、居所も分からない、ホームに戻ったと思うけれど、そこには居ないし、教えてくれない。

そうするとますます不安になって、どうして良いか分らない、何に頼れば良いのか分からなくなりました。それで戸塚教会を訪ねたということです。

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4.「酷いことをしてしまった」と悔恨

今回は別表1996年7月の項以降を参照してください。

司会:
それでは、監禁後のお話に移っていきます。それぞれの立場からですね、今日のテーマの一番大事な部分の親子関係が、どのように修復していったのか、経験からポイントになることを、お母さん麻子さんお願いします。
お母さん:
麻子がすごいアトピーになったのですね。そうすると麻子は、買い物にも行けなくなるし何もできなくなって「お母さん来て」ということで、私は泊まりでずっと、麻子の面倒を見るようになりました。そこから少しずつ麻子の言うことをだんだん聞くようなったんだと思います。
麻子さん:
アトピーになったのは96年7月に解放されてからすぐでした。アトピーは体中全身に出て、ステロイド剤の後遺症で、全身が腫れ上がるほど酷い状態で、体中から体液が漏れ出る、という症状を起こしていまして、介護がなければ絶対一人では生活できない状況に追い込まれていました。

そこで親と一緒にいるのは非常に精神的に嫌だったんですけれども、それでも居てもらわないと仕方ないと諦めて、仕方なく母親に来てもらうことにしました。

それと同時に、私の怒りという物を毎日のように親にぶつけるようになりました。親の方は、怒りを徐々に受け止めていくようになったのだと思います。ただ、「何が私の怒りになっているのか」という点については、母親は、まだ良く分かっていなかったようで 、それを理解するまにはもっともっと時間がかかりました。

私のアトピーが治まって、ホームページを立ち上げて、(夜桜餡)ホームページの内容を印刷して両親に見せて、手紙を添えて、これを読んで感想を送ってくれるように頼んで、それで母親が、これはいけなかったということを、謝罪の手紙に書いてくれました。

一言ではないのですが、ただ「悪かった」では、私の心はなかなか納得しなくて、本当に納得いく回答が得られるようになるまでもっともっと時間を要しました。

私は両親と、徐々に話し始めるようになるのですが、その中でたとえばテレビとかドラマとかで、子供が両親から虐待を受けて、酷い扱いを受けて、心に傷を受けるような場面を見ると、フラッシュバックを起こすのですね。

そのたびに、母親に「これと同じことをあなたはしてきたのよ」と、私は強く怒りをぶつけるのです。そうすると母親は最初のうちは「それは悪かったわね」と言うのですが、段々繰り返していくたびに「何で何度もこういうことで私を苦しめるの、私はいつまで加害者でいなくちゃいけないの」と怒るようになってきて、これでは分かってくれていないと、まだダメだと思うようになりました。

膠着状態は長く続きました。本当に分かってくれるようになるのは、やっと私が正社員になり始めた頃(昨年の1月頃)で、その頃になると、私が苦しかったことを言うと、「あれは悪かったことだったわ」と本当に、思い起こすように、言ってくれるようになりました。

いまから振り返ると、繰り返して言うしかなかったと思います。
お母さん:
戸塚教会の勉強会に参加されている脱会した方は、親子の関係が脱会してからうまくいっていない方の方が多いのですよね。

ある方が座敷牢をやったというのですよ。そのとき私、座敷牢でもやるのだという感じにしか聞いていなかったのですが、そのお子さんが今、精神的にちょっと病んでいるということをおっしゃっていたのですね。

「ああそりゃそうだろうな、そんなことされたら、自分だったらどのような思いをする(だろうか)、辛かっただろうな」と、最近、つくづく分かるようになったんですね。

兄弟関係も、うまくいっていない方が多いのですよ、監禁から出てから(ブログ担当者注:監禁から解放されてからの意)。

前には(自分がどんなことをしてしまったのか)よく分からなかったのですよ、あんまり。

でも自分が監禁されたらどんなに苦しいかなということがすごく分かるようになった。この子に可哀想なことをしたなって、あんな酷いことを、すごいことをやったのですよ、うちの場合は。心に傷がつくのも無理なかった。

これは、やってはいけないことだと思います。もっと親子でなんでも話せるようにならなければいけないと思います。(泣)
米本氏:
麻子さんに手紙で謝られるようになってからも、お母さんたちはずっと黒鳥さんのところで勉強会に行かれるわけですね。

麻子さんが一方で苦しみ、それを看病しながら、お母さんは戸塚教会の勉強会で脱会の経験者として勉強会で話をする。

それは矛盾することですが、その矛盾がどうやって解けたのか。

1999年 2月、これは後でお二人に聞いてみたいのですが、今利理恵さんが黒鳥牧師と清水牧師を訴えた裁判の法廷が終わった集会で、ご両親と麻子さんが一緒に参加して、麻子さんがみんなに訴えるのです。

どのように訴えたのかは、麻子さんから聞いてもらって、その後お母さんからそのときのことを話してもらえれば良いなと思います。(このあたりは別表の1999年2月の項を参照してください。)
麻子さん:
裁判に行った後に、それぞれ感想を一人ずつ言って回るのですが、私はみんなが「黒鳥先生に恩になったからと、(黒鳥先生の保護説得はなかったという主張に)賛成しているというのはおかしい」と言ったのですね。

その後に黒鳥先生に呼び出されて「あなた、なんであんなことを言ったのよ。賛成するのは当然じゃない」と言われて……。(しかし)それはおかしいと、やっていること自体、拉致監禁であって、言っていることも嘘八百だし、それはおかしいと(私が)言っても(黒鳥先生は)「それは当然じゃない」と、嘘をついても当然なんだということを堂々と言っていました。それを聞いてこの人はもうダメだとはっきりと分かりました。
お母さん:
高塚さん(今利理絵さんの旧姓)が裁判になると黒鳥先生がおっしゃって、そのときになぜか黒鳥先生が私に凄くあたったのですよね。

黒鳥先生が言おうとしていることは、分からなかったのですが、「あなたが裁判になってもおかしくないのよ」とか、なぜ私を責めるのだろうと、そこのところがわからない。私に当たりやすかったのか。麻子が、拉致についてのホームページを出したから、私に当たっているのか、ともかく、黒鳥先生が、私に当たるようになりました。

私も裁判に行くようになって、(黒鳥先生は)間違ったことを言っていると感じました。

結局、黒鳥牧師は、拉致監禁でやってきたことを、陳述書に「私が言ってなくて、これはこの人がやった」とか、違うことを黒鳥先生が言わせて、親子の関係をどんどん、悪くしていった。

黒鳥先生が良くて清水先生が良くて、(高塚さんの子どもが訴えている保護説得などなかったということになっていけば)、高塚さん親子の関係はどんどん悪くなっていく。

こんな裁判で良いのかなと、こんな裁判に行かなくても良いって言うか、そういう思いになりました。だから一切、裁判には行かない。もう、黒鳥先生のところには行かない、ということを(決心)しました。

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5.「エンドレス献金」「日韓トンネル」で辞めた統一教会

今回は別表「~2004年秋」の項を参照してください。

司会:
お母さん、離婚したとか言われたりしたのでしょ。

お母さん:
それからは、私は結局先生を裏切るのです。恩になっていながら、結局、教会に行かなくなる。行かないから結局悪口を言われる。麻子の味方になっているから、拉致監禁の反対の味方になっているから、結局「あの宿谷さんとこへいってはいけないよ。電話してはいけないよ、宿谷さんの家族は離婚したんだと」か、悪いように言われていったんです。
司会:
はい、ありがとうございました。統一教会に対する疑問や意見をおっしゃってくださいますか。同じ質問を麻子さんにもお願いします。
麻子さん:
はい。一番、統一教会を辞めるきっかけになったのは高額な献金、エンドレスな献金ということでした。一番私の心に引っかかったのは日韓トンネルでした。

あんなに騒いでお金を巻き上げて、その後、清水牧師のところで「日韓トンネル計画書」というのを見せて頂いたんですけど、これでは到底、日韓トンネルは実現しないであろうと思われると、私の目から見てはっきりしましたので、統一教会を辞めました。そう言うことが、いろいろ口実を作って献金をさせて、そしてその個人の財産がすっかり無くなるまで献金させるというところが私にとっては一番の疑問です。
司会:
お母さんどうぞ。
お母さん:
私は、まず自分は統一教会と名乗らない。最初に行くところがホームとかそういう所かわからない、そういう所に連れて行って、ある程度期間が経って、初めて統一教会という。そういう点がまずいけないと思います。

この間、印鑑の事件が新聞とかで話題になったけれど、なぜそんなに印鑑で大金を取るのか。そんなことをして、自分に対して悪く思わないのかしら? そんなことをして、神様は喜ぶと思います? またそんなこと(印鑑で大金を取れなんてこと)を、神様は言うことはないと思う。神様、神様って、何で神様にお金をあげるのかよく分からない。

それと文鮮明というのは、日本はエバ国家で、日本人を働かせる。韓国の人は働かなくてもいい、それはおかしいと思う。日本人は韓国人に償いをする。そんなことは国ですることで、麻子たち個人で信者がすることではないと思います。

それと、ローンをしてまで、そんなことして自分の生活が困るということ。そんなにまでして献金をする必要は無いと思う。自分の生活に困らないちょっとした範囲で良いと思うし。

それとアベルか、上の人の言いなりになるというのは、自分の意志を持たないっていうこと。自分はこういう生き方をしようと思うのに、アベルの言いなりに、上の人の言いなりになって動く、これはおかしいと思う。

麻子の場合、自分の考えがちゃんとあって、それを口に出した。(統一教会に入ったら)この子はそれを変えた。(でも拉致監禁終了後は)言いなりにならないこと、自分は拉致監禁に反対だということを、黒鳥先生に訴えた。そしてとことんまで、それを続けた。

みんな、「(統一教会から)助けてやったんだ、助けてやったんだ」と、親戚の者は最初、そう言いましたよ。「統一教会から救ってやった、救ってやった」と、言っていた。

(でもそれは)そうじゃなくて、この子は自分の辛かったことは、ここはこうだという。

親戚は、最初は、謝れないのですよ。でも、主人の妹などが、一生懸命に私たちの話を聞いてくれて、最後には親戚のみんながこの子に謝ったんです。麻子が苦しかったことで、親戚の人は一歩も家に入れなかったのですが、今は来るようになりました。麻子が親戚の誰とでも話せるようになったからです。本当にこれは時間がかかりました。こうなるまでに。
米本氏:
二つのポイントがあると思うのですが、2004年の秋に、麻子さんがホームページ作りを開始する。麻子さんが自分の気持ちをサイトにぶつける。自分のホンネの気持ちをサイトで書く。それをお母さんに見せる。お母さんは麻子さんのホンネ、何に苦しんでいるかを知った。

ところで、いま、拉致監禁された親子の関係がうまくいっていないところは多いと思います。親子関係が断絶されているところもあると思いますが、それは自分の気持ちを正直に親にぶつけないからです。怒りとか屈辱感とか。統一教会の人というのはいつもアベルの言いなり、アベルの指示かもしれないけれど、お父さんの誕生日のときに誕生祝いを送る。手紙を書く。アベルから言われた通りの決まりきったことしかやらない。

監禁された人たちは本当の気持ちを出さないのですよ。お父さん元気?お母さん元気?じゃないですよね、僕だったら。拉致監禁してふざけるな、というのが本音なのに、それを出さない、いつも。

麻子さんはホームページ(夜桜餡)で出したということが一番ポイントなのですよ。ホームページで出して読んでくださいと、コピーして、全部コピーすると2センチくらいあるのですが、それをお母さんが、初めて気持ちを読んだのです。

だから、先ほどお母さんがおっしゃったことは何でも子供と本音をぶつけ合いましょうね、ということだと思います。これが一番のポイントだと思うのですね。サイトを読めばわかりますが、今日は気持ちが悪いだとか、悪夢をみたとか、昨日はウイスキーをものすごく飲んだとか、いろいろ書いてありますが、それをお母さんに渡して、それをお母さんが読んだ。それが親子関係の再生のきっかけなったと思います。

それで、ちょっとだけ補足させてもらうと、「母親が謝罪の手紙を送る」ようになると書いてありますが、どういう手紙かというと、簡単に読むと、

「ホームページを読んで、今までの苦しくて辛い気持ち、ごめんね、ごめんなさい、苦しくて、苦しくて動けないよね。一人で苦しいよね、つらいよね、涙が出て、涙が出て、ごめんね。ごめんね。苦しめて、苦しめてごめんなさい。」

というものです。この手紙を出されるようになったあたりから、親子の和解への道が始まったと思います。
お母さん:
この拉致監禁に関して、精神科の先生と米本さんがずっと麻子を支えてくれました。そのおかげでずいぶん立ちなおれた。私は米本さんがいなかったら本当に今はどうなっていたかわかりません。ありがとうございます。

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6.反対派の本にも「親子関係の修復に最低4年間」

司会:
もう一方の父母の会(戸塚教会の勉強会)とか牧師さんあるいは弁護士に対する疑問や意見がありましたら。お母さん、麻子さんお願いします。
麻子さん:
まず、言えることは牧師と弁護士は、はっきり言ってつるんでいます。牧師がまず脱会させると。脱会させた時にそこでお金が入ると。それはわかっていることです。牧師と弁護士がつるんでいて、牧師がある特定の弁護士を紹介する。「この先生は非常に安いのよと。3割ですむのよ」と。

それを信じて私も山口広弁護士を紹介されました。弁護士は紹介されることによって確実に利益を得ます。

最初に弁護士の所に行ったとき黒鳥牧師も一緒だったが、まず手土産を持って行きます。それほど親密な状況にあるということです。

弁護士も拉致監禁に対してはもうわかっている、了承していることで、さも無かったことのように言うのですね。はっきり言って犯罪だということは確信しているはずです。それははっきりと言えます。

父母の会ですが、教会(統一教会)でいうアベルカインのような主従関係で成り立っている。牧師がアベルで父母の会がカインと。牧師のいうことが絶対であって、牧師の言うことには絶対的に従わなければならない。

拉致監禁を決行するにあたって確実に牧師の了解が得られなければ、拉致監禁はしない。拉致監禁の命令を出すのは牧師であると。そのことははっきりしています。

拉致監禁中も牧師が確実に毎日指示を出しています。たとえば「こうこうこう言って赤ちゃんのような気持ちにしてやれ」とか指示を出しているのですね。はっきり言って、私を侮辱しています。そういうことを堂々とやっている。それが牧師です。

だから、キリスト者として思えない態度ですね。そういうことが見て取れて、今でも腹立たしいです。そういう思いを持っていいます。
お母さん:
私はあまり、黒鳥先生のことは良く分からないが、私は商売を辞めて良かったと思っている。良かったというのは、いろいろ振り返って自分を見ることができるようになりました。これは黒鳥先生のところで出来たことだから、あまり黒鳥先生をどうのこうのと言おうとは思わないのです。

保護説得(拉致監禁のこと)をやっていいかどうかは先生が判断することであって、止めろと言っても止めない先生に、私はとやかく言えません。保護説得はやってはいけないことなので、やってはいけないとはっきり言わなければいけないと思うのですが・・・。
司会:
最後にお母さん、脱会された家族の皆さんはその後どうされているのか、ご存じのことがあれば。
お母さん:
脱会された方は、今まで統一教会に入っていなかったような振りをして、子どもさんは社会に出て行く。親も、うちの子どもが入っていたというのは見せないような、隠しているというふうな感じが見受けられます。

私はあの時は、うちの子どもが統一教会に入っていて、すごい保護説得・拉致監禁をやって苦しんだのよと、私は平気で言います。でも、他の親御さんは、私は普通の親御さんではないのでわからないんですけれども、統一教会を悪い面で見ているので、絶対に自分の子が統一教会に入っていたというのはひた隠しに、隠している方が多いと思う。

親子というか兄弟姉妹関係が良くないというのをよく聞きました。だから、子どもさんが家に帰っても、親に本音を言えない、心を閉じる、苦しいまま生活をする。拉致監禁が辛かったことを言うと、自分はまた拉致監禁されるという不安があるのじゃないかと思います。

だから早く結婚するとか、親から離れるとかそういう人が多いですね。本音で親子と付き合っているというのはあまり聞いたことがない。

うまくいっていない人が結構多いと思います。表面的には良いかも知れないが、「うちの子は兄弟とは仲があまり良くないのよ」とか、「話ししないのよ」とか。
米本氏:
ちょっと、補足しますが、取材のときに、監禁された人で脱会した人たち、また監禁から脱出した現役信者の人たちに、親子関係を必ず聞くようにしてきたのですが、監禁後、親子関係がうまくいった例は3,4件だけでした。

また、兄弟姉妹が監禁にかかわっていた場合、その後、兄弟姉妹関係が復活したケースは、僕が聞いた範囲では0件です。監禁に関わった妹がいまどこで何をしているのか知らない人もいた。

表面的に親子間で交流している人もいるかもしれないけど、あくまで表面的で形式的なものだと思います。保護説得に成功しても、前は一緒に暮らしていたのに、脱会後、同居を好まずに別居するようになった人が圧倒的に多いのではないとかと思います。このことは、静岡県立大学準教授の西田公昭さんが『マイン・ドコントロールとは何か』で書いていることです。

また、その本では「脱会後、親子関係が修復するのは最低4年間はかかる」と書いてある。僕はそれを読んだとき、拉致監禁のことは知らなかったので、なぜ、統一教会を脱会すると親子関係を修復するのに4年間もかかるのか、わからなかった。今ではよくわかります。うまくいかないのは保護説得、拉致監禁があったからです。

西田さんは拉致監禁のことを書いていないから、読んだ人がなぜ統一協会を辞めると親子関係が上手くいかないのか分からないのですが、それはハッキリ書いてあるのです。
親と同居しない傾向が非常に強いということで、それは西田公昭さんのような反統一協会の人も親子関係がうまくいかないということを本の中で明記しているのです。

必ずうまくいっていないという状況がずっと続いている。今でも続いているという不幸なことになります。

今日お見えになっている監禁から脱出した小林宗一郎さんにはお子さんが3人いるのですが、親は会いにやってこない。孫が生まれたのなら、息子の家に見に行けばいいのじゃないですか。統一教会が嫌いであっても、孫とは関係のないこと。子どもが統一教会を辞めないと、ペットを捨てたみたいな感じで、もう興味がなくなったということなんでしょうかねえ。

僕が一番悲しいのは、97年頃に韓国に渡った、拉致監禁を体験した花嫁さんのことです。僕は2007年に取材で韓国に行って、彼女のお子さんの写真をたくさん撮って、それを彼女の鳥取の実家に送ってあげたのです。ところが、礼状さえこない。おそらく、両親は娘を捨てたという気分なのでしょう。そういうケースはまだいくつか見られます。

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7.怒りをドンドンぶつけて親子関係回復

司会:
じゃあ、麻子さんには被害者とそのご家族へのなにかアドバイスがありましたら、お願いします。
麻子さん:
そうですね。私の場合ですけれど、私は統一教会に入る前は母親よりも下の立場で、いつも何か言われて怯えているという感じでしたが、拉致監禁があって初めて怒りというものが外に出て、親よりも感情が上に、立場が(上に)立ったのですね。親に対して、あなたと呼ぶようになり、「あなたこうして、あなたここが悪い。」と言い放つ。

反対の牧師からも「この親は駄目な親だ」とレッテルを貼られて、「 麻子さんの言うことをよく聞きなさい」と親も教えられていたので、私もその通りにしてやりました。
母が私に「あなた、ここはこうしなさいと」言うのは悪いと、言い放ってやりました。母親が「あなたこうしなさい、あなたああしなさい」と何度も言うと、そういうことが嫌だと言ってやりました。

それと、何かにつけて親に怒りをまともにぶつけていました。怒りをドンドンぶつけていくことによって、親はすごくうろたえるのですね。でも、うろたえるのですけれども、怒りをどんどん言った先に、拉致監禁による怒りから出たものだということが、親には理解できるようになった。この親はやっと分かってくれたと感じるときがあったのです。

それから私が立場的に上ではなくなって、だんだんと平等な関係になっていった。その時からやっと普通の、異常じゃない親子の団らんというものを得ることができたように思えます。そうなるまでに10年かかりました。
司会:
ありがとうございます。10年のご経験が被害者の皆さんの役に立っています(ことを願います)。
お母さん:
麻子は私のことを「あんた、あんた」と言って、「お母さん」「お父さん」とはずっと言ってなかったのですが、近頃は「お父さん」「お母さん」と言ってくれるようになりました。(拍手)
司会:
時間がなくなったので、二人だけ質問受けます。
<質疑応答>

① :
3、4年ほど前にホームページを読んで、かつて統一教会のリーダーの位置を担っていたものとして、もう一度会ってお詫びをしたいなあという、その気持ちを話したくて(参加しました)。

ホームページで本当に心が痛かったのは「私はこの世の中で真実を探したのにどこにもなかった。統一教会にあると思って入ってきたのに教会にもなかった」という言葉でした。
その叫びが胸に痛くて、本当に統一教会が再びそういう真実を探す人の答えがあると(いう)そのような教会にもう一度するために、このホームページの内容を受け止めて、私は統一教会を改革しますという誓いを立てましたので、今日お会いできて本当に感謝です。ありがとうございました。
② :
会員の一人の森田と申します。二つ質問があります。一つ目は麻子さん親子が現在は親子関係が修復されて、いい関係を築かれていると思いますけれど。10何年という間、身体がぼろぼろになるような経験をされた中、基本は拉致監禁の問題があったとしても、統一教会さえ無ければ、こんなことにはならなかったのではないか(と思いませんか)。統一教会の関係においていろいろな恨みとか、そういった問題をどういうふうに消化されているの(でしょう)か。

もう一つは親子関係の話がありましたけれど、親子関係が拉致監禁の後、悪いところが多いという話ですけれど、もともと親子関係が悪かったのだけれど、拉致監禁によってより具体的に顕在されたのか、(それとも)親子関係は良かったのだけれど、拉致監禁によってそれが壊れていったのか。米本さんでもよろしいですが、その辺どのようにお考えでしょうか。
米本氏:
もともと親子関係が悪かった。親子関係が悪かったから、統一教会に居場所を求めて入って来る人は、そこで拉致監禁をされた場合には、脱会するにせよしないにせよ、結果はものすごく悪くなると思います。

親子関係が良好だった家庭もあると思います。うまくいっていたにもかかわらず、たとえば大学院に行っているエリートコースを歩んでいたのに統一教会に入ってしまった。そうすると、親は「何とかしないとこのエリートコースがだめになる」と、拉致監禁したという例もあるのだけれど、そこも保護説得後はうまくいっていないですね。

先ほど、お母さんが、麻子さんが「あんた」から「お母さん」と呼ぶようになったという話をされていましたが、保護説得(編者注:実質的には拉致監禁のことですが、首謀者たちはこのように呼びます)後に別居するようになった、一緒に住まなくなった人は、こういう関係にならない。ほんとうの意味での家族の団欒は復活していないと思います。

表面的には「お母さん」「お父さん」と言葉では言いますよ。でも、「お父さん」「お母さん」とは心の中では思っていないから。儀礼的に表面的に付き合っているだけだと思います。保護説得後、親子で再び一緒に暮らすようになった人はほとんどいないと思います。

一緒に住んでいない人は表面的になる。誕生日にはプレゼントしたり、逆にプレゼントのお返しされたり、「元気でやってる?最近は」とか言って、統一教会にまた戻っているのじゃないかと、親は心配だから、ときどき様子をうかがう。

子どもはそれを敏感に感じるから、また監視されているなということがわかるから、「元気だよ」と言葉を返すけど、あくまで表面的な付き合いしかしない。表面的であっても付き合うのは、また拉致監禁されるのが怖いからです。

もともとの親子関係が悪かろうが良かろうが、保護説得すると親子関係は確実に悪くなります。良くなることは決してない。
③ :
ちょっと観念的な質問で申し訳ないのですが、基本は親子で幸せに暮らしているのかどうかと私は心配するのですが、どこかで恨みをもったり、消化できないと、本当の幸福にはつながらないと思いますが、統一教会に入信したことが一つのきっかけになったわけですけれど、統一教会に対していろんな不満とか持っていると思いますが、どのように自分なりに消化しているのかお聞かせ願いたい。
麻子さん:
統一教会に入っていたことで、拉致監禁されたからといって、統一教会が悪いわけでもない。もちろん、私が悪いわけでもない。だから、統一教会に恨みというものは全く持っていません。

ただ、この拉致監禁があってから、一気にマイナスよりさらにマイナスになったということ、それが一番大きな問題だと思います。そこからまたゼロに戻すことができた。そして、親子関係が前よりも良くなった。拉致監禁が、統一教会が、そのきっかけになったということで、とてもよい経験をしたと私は思っています。

ただ、そこまで行くには、本当になんて言うか。統一教会の信者の方には、一人の人間として、自分として自覚をして、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)をしなくても一人で立って歩けるよう人になって欲しい。

本当に、こそこそしているとか、そういうように思われないような生活をしてほしい。献金をして大変だと思われないような、そんな教会員になってほしい。

監禁された信者の方々は、私は、こんなに痛いのよと、毎日眠れないのよ、どうしてくれるのよと、はっきりと言葉に出して、思いっきりぶち当たって、それで親が何の反応がなければ、あなたはそれだけの責任しか持っていなかったのかと、はっきりと責任問題を追求すべきです。

そこまで親に言って良いと思います。それだけの責任がなかったら、拉致監禁はやるべきではなかったと、はっきりと言ってください。
お母さん:
私は宗教に関しても統一教会も他の宗教も対して変わりはないように思うのです。ただ、統一教会はちょっとあくどいのかなと思いますけれど、創価学会にしても何にしても結構、上の指示に従って、新聞配りやこれは何部と決められてやっているみたいなのですよね。

うちも商売していたときは、「新聞を頼むからさ、お金はいらないから頼むから置かせてください」と。なんか可哀想だと思って、どうぞと置いてもらうことにしました。でも、商売を辞めてからは商売に関係ないし、もう読まないので要りませんと断るようにしています。

選挙で誰々に命令的に入れてくださいと言われる。何で言われたことを、この人に入れないといけないのか。私は自分の考えで入れますから悪いけれどお断りします、といって断るようにしています。だから宗教というのはどの宗教もなんか、コントロールしている。

黒鳥先生の所は黒鳥先生のやり方でみんなをコントロールして、自分の言うように上手く、先生の方が正しいという言い方で、持って行くからそれが正しいような、感じに持っていく。見る目が、その世界だけにみんな入るような気がするのですよね。視野がこう狭くなってしまう。私は、統一教会だけが悪いとは思いません。
司会:
ありがとうございました。

以上で「第1回拉致監禁をなくすための集い」詳報の連載を終了します。
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(PDF表)宿谷さん親子の拉致監禁関連事項の時系列表示

09/11/18 『宿谷さん親子の講演会』を終えて
10/03/28 第2回『宿谷さん親子の講演会』を開催

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