<後藤副代表、検察審査会「不起訴相当」に対するコメント>
<後藤副代表、検察審査会「不起訴相当」に対するコメント>
去る10月6日、私が申し立てをしていた東京第4検察審査会の結果が出ました。奇しくも10月4日は、東京第5検察審査会が小沢一郎氏に対するの2度目の「起訴」決議をし、強制起訴が決まった日でした。
もちろん小沢氏の事件と私の事件を単純に比較することはできませんが、強制起訴報道に触れる度、期待が高まりました。逆転起訴に持ち込むことができれば、法治国家でありながら、未だ野放し状態の拉致監禁、強制棄教という犯罪行為を止めさせることができる・・・
それだけに、「不起訴相当」の一報が入った時は、たいへん無念でありました。そして、ファクスで送られてきた議決通知書を読んで、ふつふつと怒りが湧いてきました。
「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」のHPに既にコメントを書いていますが、 ここでは特に、解放後の体重と痩身写真の件にしぼって、私の体験をもとに少し述べさせて頂きます。
以下、議決通知文の該当箇所です。
検討した結果は、次のとおりである。
入院した一心病院の内科病歴要約には、申立人の体重は39.2キログラムとあるが、同病院の医師作成の診断書には、「脱水が改善したと思われる入院後5日目でも体重は52.1キログラム」とある。栄養管理計画書の入院時栄養状態に関するリスク欄には、体重38キログラムとの記載が53キログラムと訂正されている。
一心病院が作成した診療録等を検査した大学病院の医師の報告によれば、2月11日に体重が39.2キログラム、2月17日が52.1キログラム、2月24日が51.1キログラム、2月27日が53キログラムとなっているが、2月11日から6日後に12.9キログラムも増加するということは考えられず、体重値が誤っていると判断している。
また一心病院で体重測定に立ち会った看護師は、体重を計る際、体重計に乗った後、倒れないよう手を貸したまま測定したと述べていることなどから、39.2キログラムとした測定結果には疑問がある。
看護基礎情報では、入院時診断が「栄養失調」と記載され、身長の記載があるのに、栄養失調に重要な情報である体重欄の記載は空欄となっているのも不可解である。
さて、上の検察審査会の議決通知書は、私が解放された時に入院先の病院で計った体重の39.2キログラムに疑問符をつけています。
これについて、私が該当日(2008年2月10日)に経験したことは、以下のとおりです。
<詳しくは、 世界日報の連載 “拉致監禁”の連鎖(36)~(47) をお読みください。>
監禁されていた杉並区荻窪のマンションから解放された当時、マンションの部屋が寒かったため、部屋の中にいながら、下着を入れて上8枚、下4枚、靴下2枚を重ね着して身につけていました。下の写真は、2月10日当時、実際に身につけていた服です。
“拉致監禁”の連鎖(37) 後藤徹さんの証言-解放と入院(2)
夕方4時ごろ、着のみ着のまま、一文無しで監禁されていたマンションの玄関から突然、捨てられるように放りだされた後、渋谷区松濤にある統一教会本部まで約10キロの道のりを歩いて行きましたが長年歩いていなかったため途中、両ひざの部分が痛み出し、山手通りの松濤2丁目の交差点でとうとう激痛で歩けなくなりました。
その時は夜の8時ごろでした。
その交差点で、偶然、統一教会員の女性と出会い、その方に助けられ、なんとか統一教会本部に行きつきました。
しかし、自力でトイレで用をたすことも困難であったため、その日の夜に大塚の一心病院に緊急入院することになりました。
渋谷の統一教会本部からタクシーを飛ばして一心病院に着いたのは夜中の0時を過ぎていたと思います。
その時に一心病院の診察室で撮った写真が下の記事のものです。
“拉致監禁”の連鎖(47) 後藤徹さんの証言-解放と入院(12)
この写真は、上に重ね着していた3枚のセーターを脱いだ姿であります。つまり5枚重ね着しています。撮影したのは、渋谷の統一教会本部から同行した教会職員で携帯電話で撮っています。この時の一連の写真が下のものです。
[2008年2月11日未明、一心病院で診察中に撮影された写真4枚。]
玄関から放り出された後、写真の皮靴を投げてよこし、それを履いて約10キロの道のりを歩いた。
そして、体重を計ったのはこの時です。
その時の様子は、この記事にある通りです。
ひざの激痛で、一人で立つことが困難だったため、体重計に乗る時に看護師さんに手を貸してもらいましたが、手で支えられたままでは正しい体重値が量れないと思い、数秒間自力で立ちました。
その時、体重計のデジタル表示が示した値が「39.2キログラム」だったのです。これが事実です。
ところが、議決通知書を見ると『一心病院で体重測定に立ち会った看護師は、体重を計る際、体重計に乗った後、倒れないよう手を貸したまま測定したと述べていることなどから、39.2キログラムとした測定結果には疑問がある。』とありますが、これは、事実と違います。
数秒間でしたが、看護師の手を借りずに量りました。
また、下の痩身写真は入院から3日目の2月13日の確か午後、ルポライターの米本和広さんが見舞いに訪れた時、撮ったものです。
あの時は、いろいろ私の話を聞きながら、初対面でいきなり「服を脱いで下さいませんか?」と切り出されたので、「ルポライターとはこういうものなのか」とかなり戸惑ったことを覚えています。
他の人は解放されたばかりの私に配慮してか、身ぐるみはがしてパンツ一丁にしてポーズまでとらせ写真を何枚も撮るようなことをする人はいませんでした。
当時、裸の写真を撮られることが事前に分かっていれば、もう少しきれいなパンツをはいていたと思います。
米本さんは、甘いチョコレートクッキーを一箱持ってきて下さり、長い間甘いものから遠ざかっていた私は、それを貪るようにバカ食いしてしまいました。
それが原因かよく分りませんが、翌日の2月14日(入院4日目)、急性胃腸炎にかかり高熱が出て、点滴を受けたことを覚えています。
しかし、その後、入院から6日目で体重が50キロ台になっていたのは、こんなにも急に増えるものなのか、と驚いたことも覚えています。
[2008年2月13日、一心病院の会議室で撮影された写真3枚]
-体重について-
後藤氏の告訴を受けて、2人の刑事が事情聴取のために、うちのそばまでやってきた。近くの喫茶店で話したのだが、刑事がこだわったのは、やはり体重のことだった。
「本人は39㎏だと言っていますが、写真を撮られたときに39㎏に見えましたか」
それで、私は「はい」と答えた。
その理由は、叔母が病気のため檄ヤセになったことがあったからだ。叔母の身長は1m70㎝。体重は30㎏だった。都立大久保病院で治療してもらった。
叔母の手や足は、まさに骨に筋肉が申し訳なさそうについている(すなわち、後藤氏を見舞ったときの状態)程度だった。叔母の檄ヤセを見て、宮沢りえの檄ヤセ事件を思い出した。宮沢りえさんも30㎏を割り、芸能ニュースで大騒ぎになったことがあった。
叔母の状態(下着姿の叔母も)をつぶさに見ていたため、後藤氏の39㎏は何の疑問も感じることなく、素直に受けとめることができた。そのことは刑事に話した。
ただし、42㎏だったとしても、それも疑問に感じることはなかっただろう。39㎏か42㎏かなんて、見分けがつく人はこの世にいないはずだ。
しかしながら、50㎏だと言われたら、「そんなにあるわけがない。体重計が狂っているのではないか」と、一心病院の小出医師(会の代表)を探し出し、食ってかかっただろう。
後藤氏が書いているように、私は2月13日に彼を見舞っている。
実は、確か2週間後にもう一度、見舞っている。
そのとき、二の腕に、申し訳なそうにではなく、きちんと肉がきちんとついているのを見て、驚いたことがある。
「すごい回復力ですね」と、語った記憶がある。
このときに、後藤氏が「50㎏台になった」と話してくれたら、私は間違いなく「なるほど」と相槌を打っただろう。そして、やはり同じように「すごい回復力」と話していたであろう。
体重の細かいことを、シロウト審査員が問題にしているが(おそらく検察の審査補助員の誘導)、39㎏だろうが42㎏だろうが、さほど問題にすべきことではないだろう。
後藤氏は2月11日に入院し、3月31日に退院している。
つまり、1カ月半もの加療が必要だったということである。
後藤氏は逮捕監禁罪だけでなく、監禁致傷罪でも、宮村氏を訴えている。
そのため、刑事事案としては、体重は重要な問題なのだが、何よりも1月半もの加療が必要だったという事実のほうが大きい。
このことを、シロウト・無責任審査員は無視している。
民事訴訟になれば、むろん私は証言台に立つが、加療の内容(カルテ)、レセプト、看護サマリーを証拠として提出すれば、監禁致傷(民事ではより重大な不法行為)は立証できると思う。
最後に笑い話をしておく。
被疑者だった宮村氏は周囲にこう吹聴している。
「俺は、後藤がマンションから出るところを目撃している。2月11日よりはるかに前のことだった。統一教会は後藤を一心病院で断食させ、檄ヤセにしてから、米本に連絡したんだ」
まさに妄想宮ちゃんである。桜田淳子の♪幸せの青い鳥♪が聞こえてきそう。くっくくっ~。
宮村氏の数少ない友人は神戸真教会の高澤守氏である。彼も妄想癖がある。それで、火の粉ブログで、「妄想高ちゃん」とからかったことがある。
私には、宮村峻氏と高澤守氏が水戸黄門の助さんと角さんのように思えてならない。
むろん、水戸黄門は反統一教会御本尊の化身である。
化身の水戸黄門が呼びかける。
「さあ、統一教会退治に行きましょうか。助さん角さん、用意はいいかな」
もっとも、水戸黄門グループは正義の味方である。
だから、あの番組に登場する悪のお代官と悪の商人が、宮村氏と高澤氏と言いたいのだが・・・。
お代官さん(宮村氏)が商人(高澤氏)に耳打ちで語りかける。
「おまえも悪よのぉ。クックックッ」
-体重について(続)-
ここでの私の投稿は、事実に間違いがあれば、宮村氏側の民事裁判での特典になってしまうので、先の投稿に補足しておきたいことがある。
後藤氏はブログで次のように書いている。
(引用始め)
また、下の痩身写真は入院から3日目の2月13日の確か午後、ルポライターの米本和広さんが見舞いに訪れた時、撮ったものです。
あの時は、いろいろ私の話を聞きながら、初対面でいきなり「服を脱いで下さいませんか?」と切り出されたので、「ルポライターとはこういうものなのか」とかなり戸惑ったことを覚えています。
(引用終わり)
後藤氏を戸惑わせるほどに、私はなぜ彼に下着一枚になってくれと言ったのか。
やはり唐突な印象は免れないだろう。
統一教会の本部職員から興奮した口調の電話が入ったのは2月12日のことだったと思う。
概要は火の粉ブログで紹介した陳述書に見てもらうしかないが、本部職員は「後藤氏の体重は39㎏」と教えてくれた。
それを聞いて、そんなに檄ヤセしているなんて?と、疑問に思った。それで病院に行くまでに、叔母のことが記憶にあったもので、「後藤氏には下着1枚になってもらわなければ。この目で確かめなければ」と考えた。
それで、暖房があまり効いていなかった肌寒い病院の会議室で(確か病院の5階だったと思う)、下着1枚になってもらって、写真を撮りまくったという次第である。
付け足し。そりゃあ、申し訳ないなという気持ちはありましたよ。
(追記)後藤さんへ、そんな汚い下着ではありませんでしたよ。
検察審査会の議決分の中で、体重の部分だけちょっと引っかかっていたので、後藤さんからの直接のコメントと、米本さんの補足説明で、とてもすっきりしました。事実ほど強いものはないと信じています。Yoshi
-訂正そして様々な疑念①-
前の投稿で、以下のように書いた。
<体重の細かいことを、シロウト審査員が問題にしているが(おそらく検察の審査補助員の誘導)、39㎏だろうが42㎏だろうが、さほど問題にすべきことではないだろう>
訂正しなければならないのはカッコ内の「おそらく検察の審査補助員の誘導」の部分である。
検察審査会で法的助言をする審査補助員は「検察官」ではなく、「弁護士」と定められている。
検察審査会法(全48条)の全文はhttp://www.houko.com/00/01/S23/147.HTM#s2で読むことができる。
その39条は、次のように定められている。
第39条の2 検察審査会は、審査を行うに当たり、法律に関する専門的な知見を補う必要があると認めるときは、弁護士の中から事件ごとに審査補助員を委嘱することができる。
2 審査補助員の数は、1人とする。
3 審査補助員は、検察審査会議において、検察審査会長の指揮監督を受けて、法律に関する学識経験に基づき、次に掲げる職務を行う。
1.当該事件に関係する法令及びその解釈を説明すること。
2.当該事件の事実上及び法律上の問題点を整理し、並びに当該問題点に関する証拠を整理すること。
3.当該事件の審査に関して法的見地から必要な助言を行うこと。
審査補助員は「検察」ではなく「弁護士」でした。勉強不足。訂正しておきます。
-訂正そして様々な疑念②-
さて、私が疑問に思ったのは、<誰が後藤告訴事件の不起訴相当の議決文を書いたのか>ということである。
検察審査会法第4条によれば、審査員は20歳以上の国民からくじ引きで選ばれる11人である。
法律とか事実を見極めることにおいては、基本的には素人衆である。
では、この11人の審査員の誰があの議決文を書いたのかという疑問がわく。
検察審査会法には、そのことが明記されていないのだ。
電車の中で人目もはばからず、鏡を見ながらメイクしているコギャルが書くとは到底思えない。11人の中で、誰が議決文を書くのか、話し合って決めるのか。11人の日当は同じである。誰だって、しり込みをするだろう。
議決文を読んでもらいたい。「宮村峻の研究」ブログに全文掲載されている。
http://miyamurakenkyu.seesaa.net/article/166142113.html#more
実に精密、精緻であり、まるで判決文の如しである。とても素人が書ける文章ではない。
それで、もう一度、審査会法を読むと、次のように書かれている。
第39条の4 検察審査会は、前項の職務を行つた審査補助員に第40条の規定による議決書の作成を補助させることができる。
<議決文の作成の補助>ゆえ、審査補助員である弁護士が作成するとはなっていない。おそらく、議決文のたたき台を書く作業くらいは「補助」の範囲内に入るだろう。
リーガルプロフェッショナルである弁護士がたたき台を書けば、少しばかりの疑問がわいても、よほど気骨のある審査員でなければ、異を唱えることはないだろう。
-訂正そして様々な疑念③-
では、話題の小沢一郎事件の場合はどうだったのか。
昨日(10月22日)の東京新聞で、「審査会で法的助言をする審査補助員を務めた吉田繁実弁護士」と書かれていた。
ネットで調べてみると、議決文は次のようになっている。
http://blog.goo.ne.jp/nonasi8523/e/3f272eedf5efe54b2c2a0f59b1cad85b
議決の要旨
審査申立人
(氏名) 甲
被疑者
(氏名) 小沢一郎こと 小澤一郎
不起訴処分をした検察官
(官職氏名) 東京地方検察庁 検察官検事 斎 藤 隆 博
議決書の作成を補助した審査補助員 弁護士 吉 田 繁 寛
(※繁実、繁寛のどちらが正しいのかは不明)
では、後藤事件の場合はどうなっているのか。
http://miyamurakenkyu.seesaa.net/article/166142113.html#moreの末尾を見て欲しい。
これによれば、議決文を書いたのは「第四検察審査会」となっているだけだ。
後藤事件の場合、審査補助員はつかなかったのだろうか。
むろん、審査会法では「弁護士の中から事件ごとに審査補助員を委嘱することができる」と定められており、委嘱しなくてもかまわない。
しかし・・・・。
-訂正そして様々な疑念④-
私がこの問題で様々な疑念が浮かんだのは、前出で紹介した次の記事である。
http://blog.goo.ne.jp/nonasi8523/e/3f272eedf5efe54b2c2a0f59b1cad85b
小沢事件で起訴相当した吉田弁護士の背景が書かれており、この弁護士によって起訴相当が誘導されたのではないかと「傍観者の独り言」さんは書いている。
彼(彼女)は「邪推?」としているが、説得力ある文章である。
11人の素人審査員に対して法律の専門家の発言はきわめて大きな影響力をもつ。当然のことである。
後藤事件の審査では、審査補助員の弁護士はつかなかったのだろうか。
もしついていたとしたら・・・
その弁護士が全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)に所属する、ないしは近しい関係にある弁護士だったとしたら・・・
議決文に審査補助員の名前を省略することは認められているのか。
次から次へと疑問が湧いてくるのだ。
-訂正そして様々な疑問⑤-
最大の疑問は前述したように、議決文がまるで判決文の如く、精密にして精緻だという点である。
もう一度、検察審査会法を読む。
http://www.houko.com/00/01/S23/147.HTM#s2
<35条 検察官は、検察審査会の要求があるときは、審査に必要な資料を提出し、又は会議に出席して意見を述べなければならない>
これによれば、検察官が議決書をリードしたことも考えられる。
あの議決文は、検察が保有するすべての記録を読まなければ書けないものである。
したがって、検察官が記録一式を11人の審査員に提出し、小さな点と細い細い線をつなぎ合わせ、今や村木事件で地に落ちてしまった検察得意の「事件の構図」を示し、議決文を誘導した可能性は十分にあり得る。
議決文をリードしたのが、弁護士あるいは検察官であったとしても、なぜ、あれほどの精緻な議決文を書かなければならなかったのか。
これが根本の根本の疑問である。
「不起訴相当」の議決が出された場合、後藤氏が抗う術はない。だから、「不服申し立ての主張は信用に値しない」とか適当な理由をつければいいだけの話ではなかったのか。
-訂正そして様々な疑問⑥-
これに関することである。
議決文が発表されるや、有田氏のブログや「やや日刊カルト新聞」に、東京地検前の掲示板に貼られた議決書をデジカメで撮影したものではなく、スキャナーされた議決文が相次いで紹介された。
おそらく、誰かからもらったものをスキャナーしたものと思われる。
奇妙な符合がある。
全国弁連の東京集会に先立ち、秘密の会合が開かれている。約40人が参加したが、そこには宮村氏、宮村氏の法的コーチ役山口広弁護士、そして「やや日刊カルト新聞」の2人のメンバーも加わっていた。
有田氏は参加しなかったようだが、有田氏によれば「宮村氏は同志」というのだから、宮村人脈とは濃い関係にある。
有田ブログや「やや日刊カルト新聞」に議決文が載るや、反統一教会陣営のブログで一斉に、体重を武器に、後藤氏事件の“虚構性”を書き立てた。
こうしたことからすると-時系列の出来事を逆に読んでいけば-、あるグループにとって、「不起訴相当」のたんなる議決だけでは意味がなく、後藤事件の“虚構性”を暴き立てなければならなかったのではないかということだ。
それによって、私がこれまでルポや単行本、ブログで書いてきた拉致監禁(統一教会の拉致監禁反対キャンペーンも)は、すべて疑わしい、虚構ではないかのかと印象づけようとした。
そのために、弁護士か検察官かはわからないが、誰かの指導によって、あの判決文的議決文が書かれることになった。そうだとすれば、私の疑問は氷解する。
拉致監禁容認派は議決文で勢いづいた。しかし、彼らの手間隙かかるご苦労な目論見は吹っ飛んでしまった。
SBS番組が放映され、その日本語バージョンも発表され、拉致監禁が現実に継続して行われていること、金銭のやりとりが行われていること、そして拉致監禁が原因となって親子関係が崩壊していることが、映像で暴露されてしまったからである。
拉致監禁をなくすには、SBS番組を、多くの人に見てもらうのが一番の近道だと思っている。
(以上でオシマイです。長文熟読感謝です。この問題にについては、時期が来たら、拙ブログ「火の粉を払え」でも書きたいと思っています)
米本さんのコメントを読みに来ました。
39キロ、本当だったんですね。
「後藤事件の審査では、審査補助員の弁護士はつかなかったのだろうか。
もしついていたとしたら・・・
その弁護士が全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)に所属する、ないしは近しい関係にある弁護士だったとしたら・・・」
きっとそうではないでしょうか。
米本さんの解説で、検察審査会の仕組みがだんだんわかってきましたが、私どもは最初から、あの議決文は専門家が書いたものだと思っていました。それほど、計算づくで書かれた印象を受けました。
靴の件をことさら強調していること、全く検証していないで「宮村氏らの関与の証拠はない」と結論付けていることなど、ワンサイドでアンフェアな検証および結論付けであることが、素人目にも分かりました。
この議決文を持って、有田芳生議員(公人)が「それ、みたことか」みたいに「拉致監禁はなかった」と喧伝する背景には、こんないやらしいカラクリがあったのですね(かもしれませんね)。
改めて、拉致監禁グループの陰険さ、狡猾さを見せつけられた思いです。米本さんの分析に感謝です。
追伸、これまで「泥縄」で投稿してまいりましたが、今後は「みんな」で投稿させていただきます。
とりあえず、後藤さんの現在のパンツ一丁の姿をアップすれば、パンピーにも類推できるんじゃないでしょうか?(お嫌でなければ)
[...] 2010年6月23日、当会副代表の後藤徹氏が検察審査会に不服申し立て [...]